備忘録

色々と備忘録を載せます。

YouTuberだとかのインフルエンサーが怖い。

なんでこういう思考に至るのか、答えは簡単で、「自分の生活水準は下の下だ」と思い込む要因になるからである。

実際に下の下なのかもしれないが、それでも生活はできている。電気やガス、水道も使える。ペットまで飼っている。

これだけでは下の下とは思えない。

 

でも、インフルエンサーの方々を見れば見るほど自分の顔や生活はその人に劣っている、世間に劣っていると考えてならない。

薬を飲んでいないのが普通。朝起きて出勤するのが普通。プラスアルファで、インフルエンサーの方々はたくさんのプレゼントを貰ったり、毎日コンビニや宅配サービスを利用してもヘではない。

つまり、人に愛されている。

お金にも愛され、恵まれている。

 

私はそれが嫌で怖い。自分はそうじゃないから。

ココナラという、スキル販売サイトで私は現在デザインをしていたりシナリオを書いていたり、イラスト、動画編集、ナレーションをしていたりしている。

でも自己肯定感はとても低い。だから、自分の能力を売り叩いている。

デザインだって5,000円で出しているが、実際に手元に入るのは4,000円にもならないのだ。それでも、この価格だから私なんかにお願いしてくれているのではないかと不安で不安で値上げなんてできずにいる。

 

きっと、インフルエンサーの方々はそんな事微塵も思わないのだろうと勝手に想像している。

 

今月8月は私の誕生月でもある。

でも、自分自身がずっと買おうと思っていた3万円ほどのものも買えない。

ずっと、去年末からずっと望んでいたものが、買えない。

 

家計のことを改善しようとしても、夫は協力的ではないと思う。話し合いをするときはだいたい人はピリついている。それを感じ取ると夫は「そんなんじゃ話し合いにならない」と逃げる。

「俺だってツライし不安なんだよ」と。

 

いっそ、一人暮らしをしようか。とも考える。

でも私にはお金がない。しかも一部のカードは夫の払い忘れによって私名義でブラックになっている。

縛られている。自由なんてこの世にはない。

 

そうだ、自由なんてない私は、自由そうにみんなが平等に見上げられる空で活躍してキラキラしているインフルエンサーが怖いのだ。

どん詰まり、とは私の人生と生活そのものだと思う。

タイトルの通り、私の生活は今、どん詰まりである。

 

お金もなければ地位もない。しかもそこに発達障害が加わろうとしている。うつ病が重くて外で働くことは困難なままだ。

障害年金をもらったって、月の計算でいったら10万もらえるかもらえないか。

こんなふうに生きている私に希望はあるのだろうか。

 

もう何もかも疲れてしまった。

前進したような、後退したような日だった。

 
そういえば、言ってしまえば自分の中でさほど衝撃がなかったことのように思えたり聞き取れたりするかもしれないが、当時の私には衝撃というかほっとした安心感のようなものがあったのでここに書き溜めておく。

 

 

2021年5月10日、私は行きつけの精神科(心療内科)に発達障害のことを相談しに行った。

 

経緯は省くが簡単に言えば、発達障害の傾向である「過集中」「飽きっぽい」「社会に適応できない」などのことが当てはまりすぎて生きづらさを抱えていたからである。

そこで主治医から本を見せられた。確か、女性の発達障害だとか女性の自閉症だとかの本だったと記憶している。

そこには当てはまることばかりが書かれていた。発育はむしろ良いのに趣味嗜好が子供っぽいことや、孤立してしまうこと。

そして何より当てはまっていたのは「男性からの悪意、性的犯罪に気付きにくい」ということ。

 

 

此処から先は私の「そういう」体験談だから、嫌な人はここで読むのをやめてほしい。

 

 

 

 

詳しくは流石に書かないが、私の初体験は小学校6年生、まだ生理が来る直前だった。

 

その日は仲良くしてくれていた子の家から自転車で帰る途中で、もう父が亡くなっていた私には母しか身寄りがなかったが、以前の記事にも書いたように母は私のことをあまり好いてはいなかったため、私はちょっとした反抗期だったのか、少し遅くに人通りなんてない半分山道みたいな坂を下っていた。

 

そんな時、珍しく向かいからワゴン車がやってきた。そのワゴン車はすごく運転が荒くて、私は道の脇にある空き地のような空間に自転車を寄せなければならなかった。

普通なら過ぎ去るその車からは男2人が降りてきた。なんの疑問も持たない私は普通に男の人と何か話したという曖昧な記憶しか残っていない。

気づけば体中が蹴られたとか殴られたとか、そういう痛みに、なぜか股間が痛かった。お腹が痛いというのか。多分抵抗して暴行されたんだろう。

なんとか服を着た状態で、気づいたらその空き地の中で倒れていた。空を見ると、夕暮れだった空に星が瞬いていた。どれだけの時間だったのか分からない。だって途中から覚えていないから。

 

なんとか家に帰った。母親はまだ帰ってなかったから、なんにも相談とかする気になれなかった。いや、帰っていたとしても、叱られたとしてもあの人に何か相談するとか、当時の私は考えもしなかったと思う。

 

身体から何かが溢れたりもした。生理かと思ったけど違う色だった。そこはご想像におまかせするとする。

 

 

そこから、中学、高校と下着売りを男の人にさせられたり、学校でまた無理やりされそうになったり、とにかく男の人に鈍感だった。

 

なんでこんなに鈍感なのか。

今になって考えると、男の人は父親みたいに聖人、というイメージが強かった。だから女の人より男の人を今でも信用したがる。

私の中で異性という感情はなく、父親みたいにいい人しか男の人にはいない、と思い込んでいる節があるのだ。

 

だからきっと、「そういう」人に引っかかるのだ。

 

なんだかそれに衝撃を受けた。

もしかして、もしかしなくても私はこういう被害に遭う人たちと同じ分類なのかもしれない。というか、私以外にもこういう人の悪意というものに鈍感な人がいるんだということにも衝撃を受けた。

 

オチもなんにもない話だが、それが衝撃で。

診察の最後の方に主治医からチェックシートみたいなものを渡された。

「あてはまる」「どちらかといえばあてはまる」「どちらかといえばあてはまらない」「あてはまらない」で回答する、シンプルで難しいものだった。

50問あるそれに答えた後の私は、なんとも言えない気持ちになった。

 

ああ。もしかしたらうつとか不安障害とかそんなものよりも根本的なものを持ってることが分かってしまうかもしれない。

 

まさに、前進したような、後退したような、そんな日になってしまった。

 

 

「死にたい」気持ちが溢れて止まらなくなる毎日

うつ病と診断されて何年経ったか数えるのをやめた。

 

会社員として、外に出て働くという行為ができなくなってから何年経ったか数えるのもやめた。数えるぶんだけ、自分の無力さだとか、無能さだとかがそのぶん可視化されるような気がするから。

 

最初は「消えたい」だった気持ちも、いつしか「死にたい」というとても現実的なものに変わっていった。

今もそれは続いているし、治るとか、消えるとか、そういうことにはならないと胸を張って言える。いや、こんなこと胸を張ることじゃないけれど。

 

私は拒食型ではなく、過食型のうつで、何かあるたびに食べて食べて食べまくって忘れたフリをして床について望んではいない明日を迎えることが多い。そのせいで、外で働けなくなってから体重は40kgほど増えた。

 

軽い人、一人分くらい増えて、そのぶん、不幸指数は増して行った。

 

なかなか減らない体重と希死念慮が、毎回毎日私を襲う。お風呂に入れなかったり、洗顔できなかったり、歯を磨けなかったりするだけで「私は生きてる価値のないダメ人間なんだ」と、自分で自分を否定していく。

 

外で働けなくなってから入らなくなったスーツ。もうよれよれで捨ててもいいのに、外で普通に働く「普通の人」に憧れて捨てられないままたまにクローゼットから出してぼーっと眺めて嫌になって仕舞うことの繰り返し。

 

こんな自分を変えたいけれど、どこから変えたら良いかわからない。

 

やりたいことはあるけれど、それが長く続かない。意思が弱い。

 

もはや、私はどう生きたら良いかわからなくなっている。

 

人並みの容姿に生活、働き方、気の持ちよう。

全部が欲しくて全部が足りないまま日々が進んでいく感覚は焦りだと思う。焦って空回りして落ち込んで、どん底になってまた焦って空回りして…。繰り返して生まれるものは履歴書の空白期間と、何も身につかないまま過ぎ去っていく時間だけ。それだけ手に入れて、前進なんてしてなくて。焦るなという方が無理。

 

 

どうしたらいいのかな。自分は何になりたかったのかな。何がしたかったのかな。

 

 

考えても答えが出たらそれに打ちのめされてしまう、弱々メンタルだから考えるだけにしておく。

 

そうしてまた、望んでもない明日が来る。