備忘録

色々と備忘録を載せます。

だから今日も、評価を気にしてとてもつらい生き方をして、生きている。

絵を描いているとよく聞かれることがある。

「いつから絵を描き始めましたか?」

である。

 

これは正直私は「この頃です」とは胸を張って答えられない。しかし、周りの絵を描いている人たちはSNSで、「2年前から」だとか「中学生から」だとかを答えている。

私も確かに中学時代美術部に幽霊部員ながらも所属していたし、きっと本当はいつからというのは明確にある時期なのだろうと思う。

 

しかし、私は物心ついたときには既に描いていた。

新聞社主催のコンクールにも絵を出していたことも覚えている。

 

だとすると、私の疑問は「絵を描くことをやめたことがあるか」だ。

これにもうまく答えられない。

 

皆さんは、学生時代に授業中、退屈で教科書やノートの端に絵を描いたことがあるだろうか。きっと、少しくらいは誰しもあると思う。

「ああ、暇だなあ」程度に、片手間で描いた絵。私の場合、それが細々と続いていて、毎日ではないものの、それなりの頻度で絵を描いている。

 

それを続けてきたことで、ココナラというスキル販売サイトだったり、Twitterだったりで依頼という形で少し絵を描かせてもらえる機会もある。

 

絵についてもそうだが、文章についてもそうだ。

 

私はココナラでは最近はシナリオを書くことが増えてきている。これも、一概にいつから、という明確な始まりがない。

物心ついた頃、まだ字がうまく読めなかったころの遊びとしてやっていたのは既存の買ってもらった絵本の絵を見て自分なりの物語を作ってそれを音読する、ということだった。

 

母はもともと私を好いていなかったから、褒めるなんてことはなかったが、絵に関しても文章に関しても物語に関しても、大好きな父がいつも褒めてくれた。父のおかげで、私はこのようなものに興味を示していたと言っても過言ではないし、実際そうだと思う。

 

今では文章も絵も、コンクールで入選するほどの腕前はないと思うし、こうして記事を書いている今も話が二転三転してとても読みにくいものになっていると思う。

 

絵が好きかと言われたら、悩むところだし、物語を書くのが好きかと聞かれも悩むところだ。なぜなら、昔からの糧だった父の評価は今はもうない。父は私が9歳のころに死んでしまったからだ。母とは疎遠になり、ほぼ縁切り状態が続いている。

 

昔から父からの承認欲求だけで書いていた名残なのか、今も他人からの評価がないと書けなかったりする。

「いいね!」や「RT」、「購入者の評価」などがないと、書く意味が見いだせないのだ。これは創作をするにあたってとても厄介で、普通に生きているというだけでも厄介な欲求である。

 

だって他人からの承認がないと、評価がないと、声がないと、息すらできなくなって何もできなくなるのだから。

少しでも否定的な意見があると捉えると一気に何もできなくなって、自分は不要だと感じてしまう。

きっと私は父が死んでから何年も経っているというのに、父からの評価を探してさまよっているのではないかと思う。

 

もういないのに。もう声さえもほとんど忘れているという無の存在にすがっている。とても弱い人間だと思う。でも、私は強くなる方法が分からない。

 

だから今日も、評価を気にしてとてもつらい生き方をして、生きている。